平成21年度採択案件/ビジネス提案型(旧制度)

共同研究実施体制

ユニットリーダー:(財)大阪バイオサイエンス研究所 分子行動生物学部門 研究部長 裏出良博
ユニットメンバー:(株)丸和栄養食品 代表取締役 伊中浩治
         (株)医薬分子設計研究所 代表取締役 板井昭子
            他製薬企業1社
JAXA研究者:有人宇宙環境利用ミッション本部 宇宙環境利用センター 佐藤勝、小林智之、佐野智


共同研究の背景及び概要

医薬品開発には莫大な費用がかかるうえ、開発中止により費用回収が不可能となるケースも多いことから、製薬企業は、希少疾病などの患者数が少なく収益が見込めない疾病の医薬品開発にはなかなか踏み切ることができない状況にある。さらに、デュシェンヌ型筋ジストロフィーについては、標的病因タンパク質が同定されていなかったこともあり、製薬企業はこの疾患に有効な薬剤開発に積極的に資材を投入しにくかった。

これまで大阪バイオサイエンス研究所とJAXA(NASDA時代を含む)は、今回対象としているタンパク質(プロスタグランジンD合成酵素)の宇宙実験を数回行っており、同タンパク質においては、タンパク質のみより阻害薬との複合体の方が宇宙では高品質の結晶が作製できることを明らかにした。また、同研究所は実験動物を用いて、同タンパク質の阻害薬がデュシェンヌ型筋ジストロフィーの治療薬になる可能性があることを示した。

近年、効率的な医薬品設計手法として注目されている、タンパク質立体構造情報に基づく薬剤設計(SBDD)の手法に、宇宙での高品質結晶作製プロセスを取り入れた新しい医薬品開発手法を確立し、特に希少疾病用医薬品(オーファンドラッグ)の開発成果を製薬企業に販売するビジネスモデルの構築を目指す。本研究は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー治療薬の開発をモデルケースとして実施する。特定のタンパク質(酵素)とその阻害薬の複合体を宇宙で結晶化し、得られた高品質結晶のX線構造解析をSPring-8等で行うと、地上での結晶化時よりも詳細な分子レベルでタンパク質と阻害薬の結合状態が判明し、阻害薬の分子設計に詳しく反映できるようになる。阻害薬の設計・合成、宇宙での複合体の結晶化、構造解析を繰り返し、複数の阻害薬を用意する。実験動物を用いた試験を通じて有効性と安全性が実証できた阻害薬を治療薬候補として、購入を希望する製薬企業に提供する。このような手法により、短期間、低コス トで効率よく複数の治療薬候補の販売が可能となる見込み。

本研究に使われるタンパク質は、宇宙利用の有効性が明確であり、さらにJAXAの保有技術やノウハウを利用することでその効果の向上が期待できる。デュシェンヌ型筋ジストロフィーは難病で根本的な治療法がなく、治療薬の開発が期待されているが、開発リスクのため製薬企業は資本や人員の投下をためらっている。有効性と安全性の実証が達成できれば、製薬企業による治療薬候補の購入・臨床試験実施の見込みがあり、有効性と安全性の実証まで公的資金の投入が望まれるケースである。

なお、JAXAは、国際宇宙ステーションにおける実験の実施と関連技術やノウハウの提供を行い、高品質結晶の作製に寄与する。


キーワード

<タンパク質立体構造情報に基づく薬剤設計>
(Structure-Based Drug Design :SBDD)
標的病因タンパク質の3次元立体構造に基づき、効率よくより効果のある薬剤設計を可能とする手法。タンパク質の活性部位(結合した分子を変化させる箇所)を「鍵穴」、阻害薬(タンパク質の活性部位に結合して活性を阻害する化合物)を「鍵」に例えた場合、鍵穴の形状を基に、合致する鍵の形状を設計するような手法。より正確な組み合わせとするためには、タンパク質の3次元分子構造をなるべく精密に解明する必要がある。
病因タンパク質の活性部位と阻害薬の構造が正確に対応するほど体内での誤作用が少なくなり、投与量を少なくできることから、副作用の少ない治療薬の短期間、低コストでの開発を可能とする手法として近年注目されている。

<デュシェンヌ型ジストロフィー>
骨格筋細胞の構造を支持するために必要なタンパク質「ジストロフィン」の異常により発症する筋ジストロフィーの中でも、最も重篤なタイプの難病。
進行性の筋肉の疾患で、4、5歳頃に診断され、その後は全身の筋肉がやせ、10歳前後で歩行困難のため車いす生活となる人が多く、さらに全面的な介助を必要とするようになる。以前は20歳前後で心不全や呼吸器不全のため死亡するといわれていたが、医療技術の進歩により、現在は5~10年は生命予後が延びている。しかし、未だ根本的な治療法が確立しておらず、病気の進行を遅らせることや合併症の発生予防のため、リハビリテーションなどの対症療法のみが行われている。
X染色体の劣性遺伝のため、男児3500人に1人の割合で発症し、その頻度は国や地域にかかわらない。現在国内の患者数は約3000人。


INTERVIEW

インタビュー

難病患者の笑顔のために
宇宙実験で創薬をめざす

(財)大阪バイオサイエンス研究所
第2研究部・分子行動生物学部門 研究部長
裏出良博 氏

 今年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の若田光一宇宙飛行士が、2013~14年に国際宇宙ステーション(ISS)で二度目の長期滞在の任務に就くことが決まった。ISSの司令官(コマンダー)の大役も担うことになっている。ISSでは2009~10年に野口聡一宇宙飛行士が長期滞在搭乗員を務め、今年中に古川聡宇宙飛行士、来年には星出彰彦宇宙飛行士が長期滞在する予定だ。
 日本人宇宙飛行士が宇宙に「常駐」する時代を迎え、 ISSの「きぼう」日本実験棟の利用も本格化する。これまでにない、宇宙実験ならではの具体的な「成果」も求められてくるはずだ。現代の科学と技術の粋を集めたISSは、わたしたちの暮らしにどのような恩恵をもたらしてくれるのだろうか。


01. 期待のかかる物質科学分野の宇宙実験


前回の宇宙長期滞在で、若田宇宙飛行士がみずからの身体をさまざまな角度から観察・検査し、宇宙での生活が人体に及ぼす影響について調査・研究に寄与したことは記憶に新しい。こうした生命科学に関する研究もISS利用の目玉だが、もう一つ大きな期待がかかるのが、全く新しい物質や薬品などの開発をめざす物質科学の分野だ。
無重力(正確には微少重力)で実験を行うと、地上では創り出しにくい物質や結晶を生み出したり、それらを応用した薬品を開発したりできると考えられている。実際、プラスチックなどの合成繊維の分解を促す新たな酵素の開発(兵庫県立大学)や、インフルエンザウィルスのはたらきを抑えるための抗菌作用の研究(横浜市立大学)などが進んでいるし、高品質な結晶の生成が鍵を握る半導体製造の分野でも成果が期待されている。

今回注目したいのが、これまでJAXAの協力のもとで多くの宇宙実験を行ってきた財団法人大阪バイオサイエンス研究所の取り組みだ。

02. 誰もやらないことをやる研究所


万博記念公園に近い大阪府吹田市。故丹下健三氏の設計によるシンプルでメタリックな外観の3階建ての建物が大阪バイオサイエンス研究所だ。国公立の研究機関や大学、企業の研究所とも異なる財団法人の研究所として、1987年に設立された。
「小さい新しい研究所だから、ほかと同じことをやったらあかん。どこもやっていない研究をしてくれと言われました」と、設立当初から研究員となり、現在は分子行動生物学部門研究部長を務める裏出良博医学博士は言う。裏出博士らは、ISSの「きぼう」の実験設備を利用して、新薬の開発に向けたタンパク質の結晶生成実験を行っている。めざすは今のところ治療法のない遺伝的な難病の治療薬だ。裏出博士らの挑戦は全くの偶然から始まったと、博士は語る。

「よそがやっていない研究をするというので、私の恩師が選んだのが睡眠でした。睡眠には脳内で作られるプロスタグラジンD2という物質と、それを作り出す酵素(タンパク質)が関係しています。それらを調べていたら、体の別のところでも同じような酵素が作られていて、喘息などのアレルギー反応に関係していることがわかったので、この酵素のはたらきを抑え、喘息の発作を抑える新しい薬の研究をしていました。すると今度は、同じタンパク質が、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病の子供の筋肉にも見られると聞いて、『え?』っていう話になったんです」

 デュシェンヌ型筋ジストロフィーは男児3500人に1人発生するといわれる遺伝的な疾患。筋肉を形作るタンパク質の異常で次第に筋肉が萎縮・壊死を起こしてしまう。幼児期に歩き方がおかしいなどの症状が見られ、多くの場合は小学生で車いすが必要となる。やがて呼吸をするのに必要な肋間筋が働かなくなり、人工呼吸器で命をつなぐしかなくなってしまう。この難病に対して、裏出博士らは全く新しい発想で取り組んだ。
「これまでは遺伝子がだめなら遺伝子治療しかないという発想だったんです。ところが遺伝子治療は理屈ではできることになっているけど、患者さんたちは何年も待っておられるのになかなか進まない。しかし僕らの方法は従来のものとは違います」

03. 難病治療の鍵を握る、宇宙空間でのタンパク質の結晶生成


裏出博士らがめざすのは、喘息の治療薬と同じように、筋ジストロフィーの症状に深く関係するタンパク質のはたらきを抑える薬だ。その場合に欠かすことができない作業が、薬がターゲットとするタンパク質の良質な結晶を作り出し、詳細に分析することだった。そこで、宇宙実験の出番となった。

「タンパク質全体の構造を知ることも大事ですが、最大のポイントは『反応中心』といわれる部分です。この部分で異常が起きて病気になります。それを止める薬を『阻害薬』といいます。よく『カギ穴』と『カギ』に例えられますが、反応部位がカギ穴で、阻害薬がカギです。ところが問題のタンパク質の結晶に歪みや乱れがあると、カギ穴の形がよく分からない。高品質の結晶なら、カギ穴の形や深さまでよく見えるから、ぴったりの薬をデザインできるわけです。地上で実験していたのでは、結晶ができても右向きやら左向きやらバラバラに伸び出してきれいな均一な結晶になりませんが、無重力に持っていくと非常にきれいな結晶ができる。それで宇宙実験を始めたんです」

地上では重力の影響でタンパク質の溶液に対流が生じたり、結晶が沈降したりするため、均質な結晶ができにくい。無重力の宇宙空間ならばそんな問題も避けられるというわけだ。

「2003~08年まで、ISSのロシアモジュールで何度か実験を行いましたが、回を重ねるごとにタンパク質に強く結合する、つまり、少量で効く薬ができるようになってきました。それをマウスに投与したら、筋ジストロフィーで萎縮した筋肉の部分が減ったんです。遺伝子は全く触っていませんよ。効果が出る理屈は実ははっきり分からないけれど、筋壊死の進行が軽減されました。さらに筋ジストロフィーのモデル犬で治療効果がありました。宇宙オープンラボでの研究はまだ始めて1年半ばかりですが、すでに宇宙実験の威力は明らかです。宇宙でできた結晶を解析するとき、X線を当てて見るんですが、その画像がすばらしい。中心からすごく遠いところまで結晶の構造がピチッと出てよく見えるんです。宇宙実験のデータがモニター画面に出たとき、みんなから『うおー!』って声が上がって、よその研究班の人が『どないしたんや』ってみんな見に来ましたよ」

「きぼう」には、タンパク質結晶生成装置という実験装置が搭載されている。6つの「セルカートリッジ」という容器で結晶を成長させることができ、備え付けのCCDカメラで地上からでも結晶の成長を確認できる。この小さな電子レンジほどの装置が、裏出博士らの創薬に大きな力となっている。

04. 宇宙実験が道を開くオーファンドラッグ開発


「僕が提案したことは、宇宙実験は小さなスペースでもできるってことなんです。実験に使うタンパク質もちょっとの分量でいい。そうは言っても、確かに宇宙開発は莫大な費用がかかります。市場原理で宇宙開発したって絶対に『もと取れへん』って、誰でもわかりますよ。そもそも採算性で話をされたら、患者さんの少ない難病の治療薬などは、一企業が開発・販売しようとしても開発資金を回収するのは困難です。でも、宇宙へ行って、手のひらに入るような容器で結晶を作れば、人の命を左右するような構造が解明できるわけです。これは逆に値段の付けようがない。人の命はプライスレスだって、私は以前から言っているんです。だからこそ、公的な資金を使えて、ビジネスとは直接関係なく仕事ができる僕らみたいな基礎研究者の出番だと思うんです。そこへ宇宙オープンラボという、公的なシステムで、宇宙をどう使うかというテーマを掲げるプロジェクトがあったから、参加させていただいているんです」

通常の医薬品開発の方法では採算性が取れない、患者数の少ない難病の治療薬は「希少疾病用医薬品」と呼ばれる。「薬を育ててくれる親(製薬会社)がいない」ということから「オーファンドラッグ(薬の孤児)」とも呼ばれている。しかし薬の開発に切実な希望を抱く人たちがいる。オーファンドラッグの開発につながる宇宙実験は、JAXAが「きぼう」の利用で力を入れている分野でもある。

05. 「宇宙創薬」をめざして


裏出博士らによるデュシェンヌ型筋ジストロフィーの治療薬開発の挑戦は、まだ人による臨床試験の段階には至っていない。しかし博士らは宇宙実験も活用しつつ、これからも人が安全に使える治療薬の開発をめざして、積極的に取り組んでいくという。

「ここまで来たら引くに引けません。宇宙空間をどうやったらうまく使えるか、そんな発想で薬を作っていくことを『宇宙創薬』と呼びますが、人間の未来を変える可能性を持っています。私たちも今後、肝臓や腎臓に負荷がかからないタイプなど、患者さんの体質に合わせた薬を開発していきたい。筋ジストロフィーの患者さんやご家族の前で講演をする機会もありますが、皆さん、真剣な目で私の話を聞いています。情けない話ですが、実は数年前までは、薬のことを患者さんには言わない方がいいと思っていました。いつ薬が実用化できるか決まっていないから、変に期待を持たせるのはどうかと悩んでいました。そしたら、うちのカミさんに『あんた、何言うてんの!』って叱られました(笑)。薬ができなかった時に自分が恥をかくのを心配しているだけじゃないか、患者さんとその家族の身になったら、希望があるかないかで全然違うはずだって言うんです。これからは患者さんにもぜひ私たちの研究に参加してほしいと思っていますので、実験の成果を正しく話していきたいと思います」

 プライスレスな価値を生み出そうとしている裏出博士ら大阪バイオサイエンス研究所の試み--宇宙オープンラボを利用した「宇宙創薬」への挑戦に、ISSの「きぼう」日本実験棟と日本人宇宙飛行士たちの活躍が大きな役割を担うことになる。

裏出 良博ウラデ ヨシヒロ

1982年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士
1983年 新技術開発事業団・早石生物情報伝達プロジェクト研究員
1987年 大阪バイオサイエンス研究所研究員
1988年 米国ロッシュ分子生物学研究所客員研究員
1990年 日本チバガイギー国際科学研究所主任研究員
1998年 同研究所第2研究部・分子行動生物学部門研究部長。専門は生化学、神経科学、睡眠学、酵素学

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