J-SPARC 宇宙イノベーションパートナーシップ

JAXA
「宇宙利用」で
民間の課題を解決する
 ANAとJAXAの新たな取り組み 

ドップラーライダーによる飛行経路・高度最適化事業

全日本空輸株式会社に入社後、運航支援・管理業務やパイロットの規程作成管理等、運航に携わる業務を担当していた松本紋子氏(ANAホールディングス株式会社デジタル・デザイン・ラボ兼宇宙事業化プロジェクトメンバー)は、日々の業務で感じていた問題を解決するため、「S-Booster 2017」に応募しました。「超低高度衛星搭載ドップラーライダーによる飛行経路・高度最適化システム構築」というアイデアで大賞とスポンサー賞を受賞。2018年より現部署に異動し、事業化に向けて本格的に取り組まれています。元々、宇宙とは直接的に関係のない業務を担当していた松本氏が、なぜ宇宙に目を向けたのか。松本氏のアイデアが実現すると、航空機や我々にどのようなメリットがあるのか。松本氏とJ-SPARCプロデューサー・藤平耕一が対談しました。

ANAの運航管理業務から
生まれたアイデア

ANAホールディング株式会社
 デジタル・デザイン・ラボ兼
宇宙事業化プロジェクトメンバー
 松本紋子氏

ANAホールディング株式会社 デジタル・デザイン・ラボ兼宇宙事業化プロジェクトメンバー 松本紋子氏(以下、松本氏):私がANAで担当していた運航支援・管理業務は、天候など安全な運航を確保するための情報や、最も燃費が良くなる最適な飛行経路や高度をパイロットに提案する仕事です。業務の中で、燃料量が高度やルートによって大きく変わること、実際の使用量と予測されていたデータの値に差があることに気づきました。

また、前部署では、日米間のルートを飛ぶパイロットのマニュアル作成管理や、新たな運航方式の導入調整などを担当していました。日本の航空局とアメリカ連邦航空局と調整し、新しい燃料削減の運航方式の路線を拡充するなど、弊社としてトライアル参加してみました。しかし、運用手順などが煩雑だったため、パイロットに深く浸透するには至りませんでした。

そんな時、S-Boosterの公募を知りました。宇宙からのデータで燃料を削減することが可能ではないかと思いつき、「超低高度衛星搭載ドップラーライダーによる飛行経路・高度最適化システム構築」というテーマで応募しました。まだ試算段階(※)ですが、もし実現すれば、燃料量削減により3200億円の経済効果と1200万トンの二酸化炭素排出量削減が見込めます。より簡単に燃料削減をする方法がないか。これは2015年頃からずっと考えていたテーマなので、実現させたいです。

※風の予測精度が秒速1メートル向上し、それが世界中の航空機に適用される事を想定

民間のニーズに応える形で
開発がスタートした

S-booster2017で
プレゼンテーションを行う松本氏

松本氏:S-Boosterに応募した事業提案書は、国立研究開発法人情報通信研究機構(以下:NICT)と気象庁気象研究所(以下:気象研究所)の論文を基に作成しました。一次選抜通過後は、メンターであるJAXAから専門的な知識をいただきつつ、最終的なアイデアを作り、ファイナルに挑みました。

J-SPARCプロデューサー・藤平耕一(以下、藤平):2017年当時はJ-SPARCもまだ構想段階でしたので、JAXAはS-Boosterに「共催」という立場で関わっていました。松本さんのメンターだったのは、JAXA研究開発部門センサ研究グループに所属する境澤大亮です。

松本さんのアイデアで使用が想定されているドップラーライダーとは、レーザー光を使って風に乗って浮遊する大気中の微粒子の動きを検知することにより、低高度の非降水時の風を計測できる装置です。現在、成田空港、羽田空港をはじめ、フランス、中国、トルコの空港などに設置されているのですが、宇宙で運用可能なのかどうかを判断するためには、技術的な研究要素が多分に含まれています。境澤はその研究の専門家でした。しかし、恐らく松本さんのアイデアと出会うまでは、宇宙から地上の風の計測にドップラーライダーを使用した際の具体的な経済効果までは知らなかったと思います。

JAXAは、基本的に国を研究で支える組織です。衛星を宇宙に運ぶロケットや、地球の自然環境を観測する衛星や、惑星系の探査衛星を研究開発するのが大目的。民間利用に関しては、副次的な目的であったため、今回のように民間の方からのニーズに応える形での検討は例がなかったと思います。

松本氏:現在は、ドップラーライダーを宇宙に上げた際、予測精度がどのくらい改善するか。また、燃料量への影響はどの程度か。JAXAをはじめ、NICT・気象研究所・国立研究開発法人電子航空研究所・慶應義塾大学SFCに協力していただきながらロードマップ作りを進めています。使用燃料量を減らすことができれば、一機あたりの二酸化炭素量排出量も減るため、自然環境保全にも貢献できるのではないかと考えています。
今後は、飛行中の揺れや火山灰の拡散状況、現状少し予測精度が悪い部分をどれだけカバーできるかという点も、検討していく予定です。

藤平:高高度の風速や風向を知ることは、天気予報で使用される数値予報モデルの改良にも役立ちます。さらに日々の天気予報だけでなく、10年後20年後の気候変動の解明といった科学的成果に日本がより貢献することにも繋がる可能性もあります。

「宇宙を利用する」という選択肢

松本氏:最近はテレビなどで取り上げられることも多くなり、宇宙は身近な存在になっていると思います。ただ私は、天体系などは好きでしたが、衛星などに興味があったわけではありません。「宇宙を使おう」と思いついたのは、「問題を解決したい」と考え悩んでいたからだと思います。

もっとも、実際に宇宙ビジネスに関わろうと考えた場合、費用面や将来的な不安材料が多く目に付き、最初の一歩を踏み出せないかもしれません。しかし一つずつ、ちょっとずつでも良いので、自社の事業範囲から手を広げてみる。そして、将来宇宙ビジネスが本格化した時に、乗り遅れないようにすることが、会社にとっても有益なことではないかと思っています。

J-SPARCプロデューサー
 藤平耕一  Profile

藤平:松本さんのアイデアが素晴らしいのは、「宇宙ありき」という考えではないところです。風を読むための方法を考えた続けた結果として、「宇宙からなら計測できるのでは?」との考えに至った。宇宙を利用しようと考える際、「宇宙でできることは何があるのか?」という思考にとらわれると、手段と目的が入れ替わってしまいます。その意味でも、松本さんのアイデアは宇宙を「ツール」として利用する良い例だと私は思います。

松本氏:日々の業務で、何らかの問題を解決したくて悩んでいる方は、恐らく大勢いらっしゃると思います。ひょっとしたら、その問題は宇宙を使えば解決するかもしれない。でも、なかなか「宇宙を利用する」という選択肢は思い浮かばないのが今の状況だと思います。宇宙と私たちを繋いでくれるような、なにかワンクッションがあれば、もっと多くの方が宇宙を身近に感じるのではないでしょうか。

藤平:既存の問題を解決したり新しい事業を検討したりするとき、宇宙という選択肢が頭によぎる程度で充分です。宇宙を利用して何かをすることは、想像しているほどハードルが高くないと、多くの方に知っていただきたいですね。ANAが宇宙で問題の解決を目指していることが、多くの方に伝われば、それがワンクッションになるのだと思います。

JAXAの基礎研究が生きた

松本氏:S-Booster応募時に記した「経済効果の金額」「風の変化と燃料との相関関係」は、あくまでも日々の業務の経験値から推測したものでした。それが、J-SPARCの枠組みの中で、シミュレーションデータを提供してもらったり、慶應義塾大学SFCの先生と研究したりする中で、データとして裏付けがとれたのは非常に嬉しかったです。

衛星ドップラーライダーの観測イメージ

藤平:宇宙でドップラーライダーを使用するなんて不可能だ、誰もがそう思っていました。少し技術的な話になりますが、ドップラーライダーを実現するためには、「ライダー」という技術が必要となります。ライダーは地球の自然を観測する衛星に搭載される観測機として、まだまだ新しい機器で、JAXAでは、その基礎研究にずっと取り組んでおり、かなり近いところまで来ていますが現時点ではまだ具体的な開発フェーズには至っていません。

しかしJ-SPARCの中で、ライダーの実現要求・経済効果の話が出て、研究開発を加速することができたと考えています。

松本氏:会社としての収益性も、JAXAとNICTに協力していただき算出しているところです。その結果を踏まえて、例えばANA一社で進めていくのか、もしくは他の選択肢を視野に入れる必要があるのか、検討する予定です。

藤平:JAXAでは、衛星搭載ライダーによる地球観測は、まだ研究開発段階です。したがって、実際にドップラーライダーが宇宙で稼働するのは、7~10年ほど先になるかもしれません。でも、コスト面でも実用可能であること、さらに完成させれば必ず使ってくれる企業がいるというのは、非常に大きい。

2018年度には、「宇宙基本計画(日本の宇宙政策の柱となる5か年計画)」の工程表にもライダーについて記載されました。JAXAの研究者たちは、衛星搭載地球観測ライダーの実現に向けて推進する環境が整ってきたと、モチベーションが上がっています。本当に松本さんのアイデアのおかげだと感じます。

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